私たちは、これから先は年を老いていく
その時の暮らしに、自分を取り囲むものが、身も心ものんびり安まるものでありたいと思っていました。
一日の中で、一番長く身を置く場所が家となる日も、そう遠くではない。その家は、是非とも木のもつ温もり、優しさを取り入れたいと思い、そんな家を建てて下さる会社は・・・と、飛び込みで相談に行ったのがSHPさんでした。私たちには、お金もないけれど、こうした家を建てたいと話したら、佐野さんの一言。
「自分で出来る所は、自分で手間ひま掛けて作っていけばいいですよ!」
こんな有難い言葉、神様、仏様です。
ヨーシ、やるぞーって、あれこれ自分たちのイメージを主人が図にして、佐野社長さんの助言をもらい、何度も何度も話し合って進めだした2年前。
私たちは、幸せなことに、府中にお住まいの蒲生さんのお祖父さんの家を取り壊す前に見せて頂け、その見事な大正時代の木材が取り壊されるなんて!!と思っていたら、何と、ごっそりとその木材を頂けるだなんて、感無量でした。だって取り壊され使い道もなくなってしまうのと、再びよみがえるとの違いは大きいものですから。
物は、人の勝手で死にもする、生きることにもなる事、改めて知りました。沢山の人たちのお陰で、この家で蘇って輝いているものが一杯です。家の外回りを囲む長石、この石は主人の高校時代の恩師の倉本英雄先生の実家の取り壊しの時にいただいた70年余りの建物です。実家の取り壊しの時に下さったものです。
庭の灯籠、欅、火鉢etc.
部屋の中には40年にもなるピアノ、このピアノは本日演奏して下さる酒井信先生の実姉様が子供の頃に使われていたものです。
90年にも蓄音機、50年になる扇風機、この家を建てる時の切れっ端、残り木で主人が作ったワゴン、ハシゴ木材を用意してレンジ台、勝手口の階段、北側の縁側トイレの壁にはめ込んだ棚etc.
蒲生さんのお祖父さんの家に使われていた沢山の丸太を洗って、乾かして、バトンを塗ったり、土壁をするのに竹小舞を飯山町にお住まいの堀田さんという職人さんに教わり、友達らとで一生懸命、小舞かきをしました。土壁も、自分たちでしてよい所は、しっかり重ね塗りしたり・・・床の節の目の抜けている所を埋めたり・・・主人と友達、本当によく頑張っていました。職人さんたちのお陰、皆さんのお陰で完成していきました。最後になりましたが、この家は自分たちの老後の為、生活に為だけでなく、気軽に人が集まれる場所である事も願って作っていきました。この家を建てるために携わって下さった棟梁の三角さん、現場監督のマッちゃん、水道の藤井さん、宮本さん、電気の亀山さん、左官の安西さん、社長さん、その他大勢の方々、本当にありがとうございました。みなさん、いつでも気軽に立ち寄ってください。遊びに来てください。友達もご近所の方も、木の温もり、優しさの中でゆっくりして頂けたら木も喜びます。それが私たちの望んでいる家でもあります。
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